自己紹介の記事ですこし触れたのですが、11歳になる息子には広汎性発達障害と軽度知的障害の診断がおりていて、(小学2年頃までは中度)後にわたしにも注意欠陥障害と自閉症の診断がおりました。

息子は突発的な予定変更など、自分の見通しと異なる事態への対応力が弱く、しばしばパニックを起こしてしまいます。
また、平衡感覚やボディイメージ、数的理解に難があるようです。
幼児の頃に親子で通っていた療育と支援学校の先生たちのおかげで、現在は身体機能にはほぼ問題がありません。
しかし、ボタンが止めにくい、幼児向けのエジソン箸しか使えないといった手先の不器用さが残っています。

息子は時に落ち着きをなくしてしまいますが、周囲の状況や人の顔色をよく見ています。
思いやりと愛嬌のある、素直なよい子です。
一方わたしは自分の世界に閉じこもりがちで片付けが壊滅的にできないものの、「人付き合いの苦手な変わった子」として一般の人と変わらない環境で育ちました。
いじめにあったり孤立したりしながらも、大学の授業をサボり過ぎて1年留年した以外は、おおむね順調な進学・就職を経て結婚に至っています。
もっとも順調に見えていたのは表面だけで、感情や人間関係の折り合いがつかず、常に強いストレスを抱えていました。
司法書士を目指していた頃に無理をしすぎてしまって、うつを発症。
以来、抗うつ剤と睡眠薬が欠かせない身体となっています。
夫はわたしと違う種類の繊細さがありますが、総じて視野が広く、自己肯定感の強さに基づく大らかさがある人です。
息子に知的障害があるとわかった時も、「俺がこの子にしてやれることは何だろう?」といった様子で、多少のとまどいは見せていましたが、変わらず息子のことを愛してくれました。
当時のわたしは「息子をちゃんと産んであげられなかった」「息子の将来はどうなるのだろう?」という葛藤と不安を抱えたまま
息子の療育や支援学校への入学、相談支援・療育手帳・特別児童扶養手当の受給申請など
息子が特性を抑えつけることなく過ごせる環境を整えることに必死になっていたため、余裕をなくしておかしくなっていたと思います。
夫はおそらくわたしから鬼気迫るものを感じながらも、やはり動じずに普通に接してくれていました。
わたしが自分のことに目を向け始めたのは、息子関係の申請や手続きを一通り終えて、落ち着きを取り戻した頃です。
息子の発達障害のことについて調べれば調べるほど自分に思い当たる点が増えていったため、
通っている心療内科の先生に、以前受けていた知能検査の結果と生まれてから鬱を発症するまでの経緯などをまとめた資料を添えて、自身の発達障害についての診断を依頼しました。
結果がわかった時は衝撃もありましたが、同時に自分の苦しさの理由に得心がいったこと、今まで振り回されていた苦手の数々に具体的な対策を打てるようになったことで、どこか安堵した気持ちになりました。
以降は息子がのびのびと成長してくれて、わたしも自分の性質や利用できる福祉サービスなどを調べて頼ったり工夫したりすることで穏やかな日々を過ごしています。
息子とわたしは発達障害を抱えていますが、彼とわたしの苦手な分野には重なる部分だけではなく、それぞれ異なる部分もあり、やはり別個の人格なんだと感じます。
自分が発達障害でよかったと思うことは、基本的にはないです。ないですが、
自分が味わってきた苦しみを息子に味わせないように努力できること、息子の困難の一部を実感として理解できることについては、救いになっています。
知的障害のある息子を持って実感したことは、「伝えることは苦手だけど、彼には感情と確かな意思がある」ことです。
- 息子を独立した人格として扱うこと
- 環境を整えたあとは息子の自発的な成長を見守ること
- その時々のステージに応じた福祉と社会保障の助けがあるので不安に苛まれなくても大丈夫なこと
を日々意識しています。
そんなわけであんこ家には困難や一般的な家庭と違う部分がたくさんありますが、楽しい日々を送っています。
かわいい息子と優しい夫に恵まれて幸せです。